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内容紹介
時代劇画の巨匠・平田弘史の初期代表作。1961-2年(著者23-24歳)に刊行されるも、あまりの残酷描写に相次いで筆禍事件が勃発。長らく幻の書となっていた初期傑作二作が普及版で再登場。解説は呉智英氏。 ●「血だるま剣法」 初出は1962(S37)年で日の丸文庫刊。刊行後1ヶ月で部落解放同盟の抗議を受け回収・絶版に。6年後の1968(S43)年リメイク版「おのれらに告ぐ」刊。2004(H16)年呉智英監修にて「血だるま剣法・おのれらに告ぐ」は青林工藝舎より42年ぶりに復刊されたが、現在は絶版。 <あらすじ>猪子幻之助は、師の朽木一伝斉を自らの手で殺害し、門弟たちへの復讐を誓う呪いの文言を師の血で書き残した。被差別部落出身の幻之助には、領主の命で家族を惨殺された過去があり、剣の道で身を起こし被差別部落民を救おうと日々修行に励んでいた。しかし、練習相手を血だるまにするなど極端な剣技上達への執念が門弟たちには不気味がられる。出身が知れて風当たりはいっそう強くなるなか、師は彼を跡継ぎにすると発表するが、物語は際限なき血みどろの復讐劇へと突き進んでいく。 ●「復讐つんではくずし」 初出は1961(S36)年、「魔像別冊・平田弘史特集」。平田弘史24歳の時の作品であり、平田劇画を語る時に欠かすことのできない最も突出した傑作である。復讐することの恐ろしさと無意味さ、そして愚かしさをダイナミックな画面と爪の先までを描き分けたペンタッチが見る者を驚愕させ、そして腹の底にズシンとくるものを与える時代劇画の頂点の一つである。後に「大地獄城」として少年誌にリメイク版が掲載されたが原稿は紛失。今では当時の雑誌上でしか見ることができない(戸田利吉郎氏の解説より)。 <あらすじ>鍋山豊前守利景の急襲で滅びた長屋左衛門尉宗綱の子宗之は、利景に対し10年がかりで復讐を果たす。その方法とは、利景を傷つけ無残な姿にした上で石垣を築かせては崩し、崩してはまた築かせるというものだった。だが、復讐鬼宗之も協力者に裏切られる日が来る。
著者について
平田 弘史(ひらた ひろし ) 1937年東京都板橋区で生まれ。1945年3月に空襲激化で奈良県天理市に疎開。父母とも天理教信者で、東京には布教のため移住していた。 1958年、『愛憎必殺剣』でデビュー。以降時代劇を中心に、骨太な劇画を書き続けている。初期は関西を拠点に貸本劇画で活躍。1965年上京し、白土三平の仲介で『ガロ』に作品を掲載。以降活躍の場を雑誌連載に移し、劇画ブームに乗って人気が出る。 父母同様、はじめは自身も天理教の信者だったが、『天理時報』からの依頼で『教祖絵伝』を執筆するにあたり、教団と大きく解釈が分かれ、連載打ち切りのち脱会(いわく「(信仰を)止めたのではなく卒業した」)。 幼少から機械いじりが好きで、自宅には趣味の機械工作のための工房があり、その腕前はプロ並み。シンセサイザーでの作曲に熱中したり、映写機研究に熱心に取り組み、実際に8mmフィルムから35mmフィルム映写機をレストアして、電子回路も自作の上、完成させ上映を楽しんでいる。Macintoshを用いフルデジタルで作品を描いたこともあるが、現在は紙とカブラペンによる作画に戻っている。現在もMacintosh(ただしMac OS Xは好まず、現在もMac OS 9を愛用)のヘビーユーザーとして知られている。 力強い毛筆による描き文字で、大友克洋の『AKIRA』をはじめとする多くの題字を手掛ける。
引用 終わり
感想
目次
・血だるま剣法
・復讐つんではくずし
・解説:呉智英 氏
平田氏の劇画の迫力はすごすぎて、恐怖を感じるので、すごい。
呉智英 氏による解説により、本作が発禁された理由が良く分かるので良い。